TOP | 一回目会談 | 二回目会談 | 三回目会談 | 後日 | 後書及び同じ境遇の方へ | メモリアル |
以下経緯
2003年早稲田大学文学部卒業、オリックス自動車入社。
2004年4月欝により慈恵医大入院、同5月自宅療養に切り替える。
2004年7月長期休養への遠慮とパワハラへのトラウマから退社
2004年暮頃から社会復帰を目指し派遣で仕事復帰を試みるが薬の副作用と
トラウマから何処も長続きせず約十社位を転職、次第に自信と生きる意義を無く
していったものと思われます。
2008年12月18日 品川のマンション14階より飛降り自殺。
遺書に残された抗議を元に父親がオリックス会長、社長、オリックス自動車社
長 人事部長、名指しされた本人に手紙を送り事実確認を求める。
その以前2005年から2006年にかけてオリックス自動車、Y人事部長を
通して当時の上長N氏及び当事者F氏に櫻本人及び母親が治療の一環として事
実確認と釈明を求め面談を求めるも数度にわたりの直前キャンセルされそのう
ち曖昧なまま放置され今にいたる。
父親(私)もあまり過去を振り返らず将来に目を向けなさいと激励しオリック
スへの抗議には消極的であったことが仇となったことが後悔されます。
以下オリックス自動車への抗議文
オリックス自動車 社長
オリックス会長、社長
三田労働基準監督者
東京都労働相談情報センター大崎事務所
御中
愛娘 畠山 櫻(1978年5月27日生)は2003年3月に早稲田大学を卒業後2003
年4月にオリックス自動車に入社致しました。
しかしながら、激しいいじめ、モラルハラストメントに遭いうつ病を患うように
なり2004年4年月に慈恵医大に入院、2004年7月に退社を余儀なくされました。
療養をしながらの懸命なる社会復帰の努力もむなしく、平成20年12月18日22
時10分頃自ら命を絶つに至りました。
入院より絶命に至るまでの約5年の間、本人及び親がオリックス自動車、及び人事
部に対して事実確認を求めるも、曖昧にされたまま、なんら誠意ある回答を得ら
れず現在に至り、大変遺憾に思います。
ここに関係各位にご報告を申し上げるとともに事実調査及び再びこのようなこ
とが無いよう切に願うものであります。
畠山 櫻の父
オリックス自動車よりの手紙
再度オリックス自動車への要望書
オリックス自動車株式会社
S T GM様
前略
お手紙拝受いたしました。
調査の件、進展いかがでしょうか。
親から申すのもどうかと思いますが櫻は非常に活発で海外へも一人で出かけ、
ボランティア活動や、人の為に役立つ為に応急処置の資格もとり、本心から優
しく、純粋で聡明で責任感の強い娘だったと自負致しておりました(早稲田大
学では特待生でしたし、英国留学時代も成績優秀でした)があまりの変貌に愕
然としたものです。
この5年間は本人はもとより家族全員大変な苦労をしてまいりました、そして
最悪の結果を迎えてしまったのです、この引き金となったパワハラ行為を決し
て許すことは出来ないと考えております。
私(父)も中小では御座いますが統括という管理職に身を置く立場で労務管理
にも関与いたしております、こういった形での自死、まして遺書に名指するな
どとは前代未聞で余程の事だとお心得下さい。
次の3点について確認をお願いしたい。
1 名指しされた本人に対しての事実確認および対処
2 同じ職場の上司の対応の確認および対処
3 退職後ではあるが治療の過程で事実確認及び当事者との面談を求めるも結
局曖昧なまま現在に至っている経緯。
1につきましては死人に口無しで都合の良い釈明に終わらぬよう客観的な周囲
の確認をお願いしたい、私どもが認識していることと致しましては、入社当事
OJTで指導を受けていたF様からいじめに近い待遇を受け(これについては当
方でも櫻本人の弁ではありますがかなり詳しい資料があります)、ひとつひと
つは些細なことでもすべて併せればかなりな悪質なものになるのではないでし
ょうか、そして結果一年足らずでひどい鬱病になっていました。
2については当事の上長であったN課長様は見てみぬふりで、相談したにも関
わらず、何も対処して貰えず又具合が悪くてもN課長様からは理由なく病院に
行くことを止められたと聞いております、11月になり毎日泣いている櫻を見兼
ねた人事部のY女史様が異動の話を進めてくださり、新宿支店に異動となりま
したが、既に病状は悪化しており、F様からのいじめのトラウマから立ち直る
ことができないままに、2月には会社を1ヶ月ほど休む事態となりました。
その後、3月に事務職として復帰するも、体調が戻らず、当事の上司 K様の
薦めで貴社の産業医に診て頂いたところ、すぐに慈恵医大を紹介され、即入院
することとなりました、N 課長様が否定されたとしても他部署に移ったとたん
そこの上司が異変に気づいて病院に行かされたもので、長く一緒にいて何も手
を打たず手遅れになってしまったとしたら怠慢以外の何物ではないのでしょう
か(事実周りの同僚たちが余りの酷さに見かねて激励会を開いて下さったこと
もあったようです、[その方たちの名前も把握しております])。
そして5月まで入院治療をしていましたが、一向に回復できず、一旦自宅療養
に切り替えました。その後、長期に休暇を取っていることへの遠慮と、会社で
のトラウマを忘れたいとの思いもあり、退社の道を選びました。
その後半年以上経っても櫻の病状は回復せず、治療の一環として少しでも人間
としての尊厳を取り戻したいと考え事実の確認とN課長およびにF様との面談
をお願いしたいと考え、人事部長のY部長様にお電話させていただきました。
Y部長様がお二人との面談をセットしてくださいましたが、2度に渡って直前
にキャンセルとなりました、(これに関しても詳しい日時の記録があります)、
その後、何度もY部長様にお電話して再度のセットをお願いしようとしました
が、こちらからの連絡に一切答えず、連絡も途絶え曖昧にされたまま誠意ある
ご返事は未だに頂いておりません。
Y部長様の対応についても調査をお願いしたいと考えております。
繰り返すようですが、学生時代の櫻は非常に活発で海外へも一人で出かけ、ボ
ランティア活動などにも積極的に参加していました、純粋で責任感の強い娘だ
ったと自負致しておりましたので、会社に入って数ヶ月のうちの変貌ぶりに驚
いておりました。
本人も、英語を使って海外でも働ける事を夢見て、一生懸命仕事をしておりま
した、残業を付けないように指示されていたようですが、実際は睡眠時間2時
間で働いている時期もあったと聞いております。
必死で働いておりましたし、まっとうな指導をして頂いていれば、貴社の有用
な戦力になり得たのではないかと思う事もしばしばで、貴社の今後の発展の為
にも、厳正なる対処をお願いしたいと考える次第です。
若くして夢、希望を打ち砕かれ自ら命を絶った、愛娘の悲運、無念を考えるに
つれ貴社の誠意ある回答を頂きたく宜しくお願い申し上げます。
早々
櫻の父 大坪俊樹
櫻の母 畠山孝子